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平安郷だより 12月号 (2025)

才門俊文氏 手記全文→

平安郷建設・奇蹟の軌跡

岐阜と京都の匠の技が融合した風荘

竣工当時の楠風荘

 建物に使用されている柱や梁(はり)などの部材は、世界遺産で有名な白川郷と同じエリアの岐阜県の白川村平瀬(ひらせ)にあった古民家を解体しものを使用しています。柱には上流の荘川村(しょうかわむら)から移築した時に筏状にして流した鳶(とび)の跡も残っていました。屋根は茅葺き(かやぶき)です。元の古民家は総建坪130坪の建物で、築150年~200年と推定されますが、解体前のこの家には、昔の大家族制のもと、多いときには20人位の家族が住んでいたそうです。  ここで、この楠風荘の移築という大プロジェクトを一手に受けてくれたのは数寄屋設計師の才門俊文氏でした。それは「古民家の解体から墨付け、構造部材の加工し、それを京都まで運搬し平安郷の敷地内に建てるまでを飛騨高山の業者。骨組が建った状態で、京都の業者が引継ぎ、最後の仕上げまでを受けもって完成させる。」というもので、人のやった仕事を途中で引継ぎ完成させるということは、建築工事においては至って稀なことで、岐阜と京都ではやり方も進め方も違うので上手くやっていけるのかと大きな課題と不安もあったようですが、才門氏は「帰りの電車の中で1人平安郷の地に建つ姿を想像し、胸が高鳴ったのを今でも忘れられません。」と述べています。平安郷建設と通して、150年まえの職人と現在の職人との魂の共同作業が始まったようにうかがえます。 
才門氏の手記には、「数か月の後、高山から仕事がなされた古材を荷台一杯に積まれたトラックが平安郷に運び込まれ、京都の職人も手伝い今現在立っている場所にテンポよく見事に組みあがっていきました。飛田高山の作業場で見た、あの黒く大きくて重い材料が、広い平安郷の地に建つと案外とこぢんまりとした姿に見えたのには驚きました。ここで飛騨の大工さんの仕事は一区切りつき、その後を京都の業者に引き継がれました。」とあります。 
そして「一番印象に残っているのが萱葺(かやぶき)工事で、当時四代続く萱葺業者に屋根を葺いてもらいましたが、現場に来ていた職人の親子が屋根の格好を形作る作業で、両側の妻(やねの両端の三角の部分)にハサミを入れていた時でしたが、実際に親方がハサミを入れている方と息子が入れている側の角度が微妙に違い、息子が作業している方に行き、えらく𠮟っていたのを昨日のことのように思い出します。」「実際、伝統技法というのは学校で机に向かい学ぶというものでは無く、かといって現場で先輩から手取り足取り教えてもらえるものでもございません。要は見て習っていくことで、実際に仕事をしながら覚えていきます。このように間違っていれば怒られるということです・・・現在ではなかなか仕事上のコンプライアンスがあり、このような光景は見られなくなりましたね・・・。工事は京都の一流職人が関わっていますので、手際よく進んで行き想定期間内に完成となりました。」と、芸術的伝統文化を次世代へ伝えてゆく日本人の職人魂のすばらしさを語ってくれました。


最後に楠風荘内の照明のエピソードです。 
最後に楠風荘内の照明器具について考えていた時に、平安郷の部長さんから「ここの照明器具について考えていることがあるので、平安郷から支給しても良いか?」ということでした。どのような照明器具になるのか心配しておりましたが、古い一文字笠に白熱電球が取り付いた、いかにもレトロな風情のある照明器具で、楠風荘の雰囲気に素晴らしくマッチしたものでした。部長さんに「よくこれだけ集められましたね。」とお聞きすると、「全て同じ形の同じ大きさの一文字笠の古いものを集めるのは、苦労しました。」と仰っておられたのを、ここを訪れる度に思い出します。 
「楠風荘は、飛騨高山の古材から始まり岐阜の職人と京都の職人のコラボレーションで出来上がり、私や平安郷の部長さんをはじめとした関係者の想いを込めて造り上げた結晶です。どうか楠風荘にこれから関わっていかれる方も利用される方々も、この建物に関わった我々の気持ち(想い)を感じ取って頂き、次の世代に繋げて行って頂くことを切に願い祈っております。」 

明主様へご報告されたみなさまの声

【修養会】 

  • 春秋庵にご参拝させて頂き、ご浄霊の時、強い波動を感じることができました。時空を超えて、この春秋庵に明主様を感じ、感銘しました。K.Y(青森)
  • 今回参加の動機は、理事長のお話に、令和五・六・七の今年は、土の神業すなわち平安郷建設の出発点とお聞きして、私も参画し神様から智慧と御力を賜りたく申請させていただきました。平安郷修養会は一生記憶に残ると確信しております。有難うございました。T.K(東京)
  • 今まで宗教に対し、苦しい事が精神向上と思っていましたが、このような体験を通して、心がワクワクするような美に対し挑戦したいと感じました。H.G(青森)

 
【宿泊奉仕】 

  • 普段の雑踏から離れ、心和らぐ時間を過ごさせて頂きました。朝早く庭苑を歩くと朝露に包まれた廣澤池で遊ぶ小鳥たちに出会い、至福の時を過ごせました。S.M(山口)
  • 聖地のお光を強く感じさせていただきました。眩しい程のお光に包まれている気持になり、とても心地よかったです。聖地を維持していく大切さを感じ、毛説奉仕にお使いいただきたいと強く思いました。K.Y(福岡)
  • 定期的に親子で宿泊奉仕に来ています。食事に息子の好きな食べ物を覚えていて下さり感激しました。何も考えず、ただ祈りながらご奉仕させて頂きました。今年もあと少し、楽しく新しい年に向かって頑張りたいと思います。A.A(愛知)
  • 御神前で参拝していると、聖地に帰って来たと実感がしました。やっぱり聖地の光は違うなと思いました。聖地に帰らせて頂けるのも許され事と感謝しております。Y.A(香川)

お知らせ

年末年始の平安郷の受け入について 
年末年始体制:令和7年12月27日(土)~令和8年1月5日(月) 
〇研修センター  自由参拝(開門8時 閉門18時) 
       1月1日は、瑞雲郷新年祭リモート参拝(11時~) 
〇庭苑    自由散策(閉門9時30分 開門16時) 
〇上の茶屋  12月26日~1月6日まで 
       1月1日のみ開亭(10時~15時) 
〇記念館   本期間中は休館 
〇その他 
※期間中、ご奉仕の受入はございません。 
※令和7年12月23日(火) 〜 令和8年1月5日(月)は宿泊奉仕の受入は休止 
※1月6日(火)・7日(水)は祭典奉仕者の受入、1月8日(木)は通常奉仕の受入を開始いたします。 

コバちゃんのひとりごと

山茶花(さざんか)を旅人に見する伏見哉(ふしみかな)/ 井原西鶴(いはらさいかく)詠

江戸時代の京都には、当時は珍しかった山茶花で客を誘致した、将に「山茶花の宿」があったようですが、山茶花は、童謡「たきび」の歌詞「さざんか さざんか さいたみち たきびだ たきびだ おちばたき」とあるように、落ち葉の季節に開花するため、初冬の季語として使われる、木々の緑が減って寂しくなるころに咲く貴重な花です。サザンカの名は、「山茶花」の本来の読みである「サンサカ」が訛(なま)ったものといわれています。ツバキ科の植物で花や葉の特徴が「椿」によく似ているため別名「姫椿」(ヒメツバキ)とも呼ばれています。ということで・・・、今回は皆様に、「山茶花」(サザンカ)と「椿」(ツバキ)の見分け方をご紹介いたします。 

  1. 一. 開花時期

山茶花: 十月から二月頃に咲き、秋から冬にかけて楽しめる。(俳句で冬の季語) 
椿: 十二月から四月頃に咲いて、真冬から春にかけて見頃に。(俳句で春の季語) 

  1. 二. 花の形状

山茶花: 花が平面的で薄いのが特徴。 
椿: 花がやや筒状で立体的で厚みがある。 

  1. 三. 葉の特徴

山茶花: 葉の縁のギザギザが深く、葉の裏の葉脈に沿って細かい毛があり、葉脈は黒っぽい。 
椿: 葉の縁のギザギザが浅く、葉の裏にはほとんど毛が無く、葉脈は透き通っている。 

  1. 四. 花の散り方

山茶花: 花びらが一枚ずつハラハラと散る。 
椿: 花が首ごとボトッと落ちる。 

  • 五.平安郷での主な自生場所 

山茶花: 作業棟前、記念館北庭(展望棟側)など。 
椿: 上の茶屋裏庭(北側)、記念館南庭(ギャラリー棟側)など。