平安郷の御教え-世界救世教いづのめ教団

 平安郷の御教え 『関西紀行』より抜萃

 『地上天国』25号(昭和26年6月25日発行)に収録
 参照『天国の礎 芸術篇』

 今度の旅行が終わってから、私は深い御神意のほどが窺われたのである。というのは、いつもいう通り箱根は山の天国であり熱海は海の天国である。としたら地の天国ができなければならないわけで、そこは平らな広い土地であらねばならない。としたら京都こそその条件にピッタリしており、すなわち五六七でいえば七に当たるのである。だからいずれは京都における頗る広い土地が手に入ることになろう。そうして今度観てつくづく思われたことは、京都全体が一個の美術品であって、他のいかなる都市にもない特異性が多々あり、この地こそ一大地上天国ができなければならない所である。したがって私はこの地に美術都市のシンボルとして愧かしからぬ立派なものを造りたいと痛切に感じたのである。とはいうものの、現在の京都としての優れた時代美は遺憾なく備わっているが、現代人の感覚にアッピールする生き生きとしたものはほとんど見られないのである。そこで私は二十世紀の今日、時代感覚にピッタリしたすばらしい芸術境を造りたいと思うのである。庭園も、建造物も勿論、何よりも世界的一大美術館を建て、将来観光外客を吸収せずにはおかないほどの力のあるものを、この世界の公園として、日本の美術都市に出現させなければならないと思うのである。



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 昭和27年4月25日の御講話より
 『御教え集』9号(1952年5月15日発行)に収録


 日本の彫刻の秀れた……それを世界中の人に知らせる。そういうことですね。これはぜひやらなければならないですからね。だいたいそういう意味で、今度行くことになったのです。で、神様がやられているんですが、そういったようなちょうど良いような敷地でも、ちゃんと取っておいてあるんです。そこにだんだん、やっぱり地上天国を造ろうと思っている。

(中略)

 京都は、別の……そういった美術都市ですね。それが京都としての在り方なんですね。ですから、それには京都は将来もっと観光外客が、ついでに見るという所でなく、日本の京都を見に行こうというくらいの誘引力ですね… …そういうものを大いに京都という都市に発揮すべき必要があると思う。差し当たっては美術館はぜひこしらえようと思うし、それから後には、京都に一大地上天国を造ろうと思っている。それには、京都という所は、実に雰囲気が一番適当しているんですね。これは日本の土地で、京都くらいの所はない。京都は日本におけるフランスなんです。日本を世界とするとね。これは霊的のことになりますがね。これはいずれ話すとして……日本を世界とすると、京都はフランスになる。フランスは世界の観光客を集める。と同じようにして、京都もそんな……いまでもそういう点はありますが、まだまだ貧弱なんです。ただ、古臭い、歴史的のそういったもので客を呼ぶだけです。なるほど、桂の離宮とか、修学院とか、いろんなそういった古いのがありますが、それだけではごく特殊な人だけしか、それが理解できないんです。そこで、現代人だれもかれもぜひ行ってみたいという意欲を起すには、とにかく新しい天国的なものを造るということでなくちゃならないと思う。そういう意味で、だんだん京都もそういうものをやるつもりですがね。

 昭和27年4月30日 京都劇場での御講話より
 『御教え集』9号(1952年5月15日発行)に収録


 今度京都に来たのは、だいたい二つの目的なんです。一つは、奈良の仏教美術……それを視察するためと、それからもう一つは、京都の地上天国を造る候補地……そういう適当な土地があったというので、それを見るため……その二つのためなんです。

( 中 略 )

 それで、つまり美術館を造るという所は、それは美術館ばかりでなしに、地上天国を造るつもりなんです。今日見た候補地としては、だいたいは良いようですが、まだ値段も聞かないようですから、懐具合にピッタリ合わなくちゃ、急にどうということはできませんが、しかし神様がすべて準備されたに違いないですから、具合良く行くと思ってます。で、それについて、こういうわけなんです。いつも言う通り、箱根の地上天国は五ですね。それで山なんです。それから熱海が六ですね。海です。つまり火と水になる。今度は七ですね。土がなくてはならない。それは平らな土地なんですね。岩石なんかがない……そういう所の条件は、やはり京都より他にないですね。そういう意味で、いつかも話した通り、京都にいずれ造る。それは去年京都に初めて来まして、フッと、そういう……まあ、神様のお知らせがあったわけです。ちょうど、今度で一年目になるわけですね。まあ……そこに一歩前進したわけですね。ですから京都は平らな所で、そうして無論環境ですね。すべてが条件にあっていると思うんです。今日の所は、そういう……だいたい80点くらいの条件が合っているようです。しかしやはり、いろいろの……広い所に行くと、農地があるとか、あるいは市の土地だとか、いろんな、なにがありますから、これは神様がだんだん良い具合にされるだろうと思ってます。そこで、特に京都という所は、ちょうど世界でいうとフランスに当たるんです。ですからとにかく、芸術の都ですね。そういう意味があるんで、だいたいいままでもそういうふうになってますが、しかしこれから本当に京都を発展させ、わざわざ外国から京都を目当てに見物するくらい……というくらいに、要するに美術都市にしなければならないんです。で、京都が日本の美術の中心ということにならなければならない。ところが、現在としては、美術の中心は東京になってますが、これは本当ではないですね。将来京都になるんです。それについては、京都に釣り合ったような地上天国的のものをこしらえなければならないと思う。それがメシヤ教のやはり一つの使命になっているんですから、京都は美術都市であり、宗教都市ですね。そういうふうになるわけですね。そこで京都としてもだんだん認識するようになるだろうと思います。いまが第一歩として自然に進んで、思うようになって行くに違いないと思ってます。今度の目的の話は簡単ですけれども、そのくらいにしておきます。

 昭和27年9月23日 秋期大祭での御講話より
 『御教え集14号』(1952年10月15日発行)に収録


 それについてもう一つは、つい最近京都にちょうど良い土地が手に入ることになったのです。これはいつも言う通り、箱根が五であり、五は火です。それから熱海は六で、六は水です。七は土です。土が京都になるわけです。ですから、箱根は火であり経であるからして一番高い。それから熱海は水があって、ずっと低くなっている。で、京都のほうは平らになるわけです。ですから五、六、七でミロクの型ができたわけです。これについては、昨年の春、初めて京都に行ったのですが、そのときに私が「いずれ京都に地上天国を造らなければならない。それには平らな所で、池のある所でなければいけない」と言ったのです。そうするとあのときに釈迦堂に行って、そこを出て法然院に行って、途中で左側に大きな池があって、突き当たりに小さな山があって、平らで非常に具合が良い。ここは気に入ったなと思っていた。しかし売るか売らないかも分からないし、どのくらいの広さがあるかも分からないが、なんとなくそういう気がしていた。ところが今年の春にあの辺に売りものがあるからと見に行ったのです。しかし高いことを言っているので手が出せないので、いずれ神様がなんとかするだろうと、ほうっておいたのです。ところが最近そこを譲りたい……譲りたいということは去年から言っていたのですが、今度は本気になって、割合に安く負けるというので、聞いてみると割合安く、手が出るというような値段なので、それではというので、いま取り決めに行ってます。無論決まります。そんなようなわけで神様のやることは、実に判で捺したようです。所は、広沢の池の所の地所です。嵯峨です。京都では嵯峨が一番良いのです。昔から……あれは平安朝時代の中心だったのです。あそこに釈迦寺があるが、あれも非常に意味があるのです。あそこは、私は今から四十年位前に京都に行って、栖鳳の龍の絵を見たことがあり、そんなことで非常に印象に残っている。その時にもう結ばれたのです。で、観音が五の弥勒、阿弥陀が六の弥勒、釈迦が七の弥勒になっている。そうすると、あそこに釈迦堂があってお釈迦さんが毎日おられるという事はそういった意味です。ようするに七です。「嵯峨や御室の花盛り」と言って、やっぱり桜が仏です。それで法然院が阿弥陀さんです。あそこには、立派な阿弥陀さんがあります。ちょうどその真ん中が今度の地所なのです。まぁ私は観音ですから……面白いのです。

( 中 略 )

 坪数一万八千坪ですから、これもミロクになるわけです。で、うしろに非常に良い山があるのです。松ばかり生えている山があります。横にもあります。それから広沢池という大きな池がありますが、京都としてはあの辺が一番良いでしょう。それから嵯峨野の秋なんかといって、長唄にもありますが、あの辺りの秋は非常に良いのです。で、偶然かも知れませんが、今朝のラジオの「趣味の手帖」の話に──秋の虫についての話ですが、やはり嵯峨の事を非常に詳しく話してました。あそこは、虫の声を聞きながら、月を見て、秋草が生い茂っている……つまり、秋草の庭で、虫の声を聞きながら、月を見る。つまり、源氏物語時代は、あれを非常に賞美して憧れていた……ということを言ってました。そんなような意味で、ともかくも五、六、七……ミロクの意味は緒についたといいますか、そういうわけです。

( 中 略 )

 名前は「平安郷」とつけました。それで良い家があそこに建っているのです。それを「春秋庵」……春秋です。それは京都は春と秋です。夏は箱根、冬は熱海、それで春と秋は京都です。昔は平安の都と言ったのですから、それで「平」という字が入らなければ面白くないのです。それに土ですから……。

 昭和27年10月20日 京都劇場での御講話より抜萃
 『御教え集』15号(1952年11月15日発行)に収録



 今度こちらに来た目的は知っているでしょうが、嵯峨の土地と、それから最初手に入れた土地のすぐ前に、少し小さいですが手に入ったものがあるのです。そういう点について非常に奇蹟があるのです。それを話しますと、最初のほうは前に話した通り1万8000坪です。それに100坪くらいの家が建っているのです。その家はなんだかはっきりしなかったのですが、昨日行ってみますと非常に良い家なのです。なんだかこしらえかけのような話があったのでどうかと思っていたところが、立派にできあがって人が住んでおりまして、住むとしては別に手を入れなくても良いくらいに完備しております。それでたいへん喜んだのですが、来年の春はあそこに住まれる家なので喜んでいるわけなのです。あそこは私が少しくらい滞在するのには充分ですが、ただ信者さんが大勢来たときに困るのです。どうしても庭にちょっと張るよりしかたがないのです。すると、最近5、6日前にすぐその前の所に地所が千数百坪、建坪が200坪余りの家があるのです。それを昨日見たところが、なかなか間数があるのと、どういうわけでできたのか座敷が立派で板張りが多いのです。ただそれに畳を敷けばずいぶん大勢の人が入ります。ですから信者さんがかなり入って休むこともできるし、寝ることもできるのです。実におあつらえ向きの家といったようなものです。それが急速に、それこそ3日か5日で決まってしまって、17日の晩に決まったという電話が京都から来たのです。ちょうど、私がこちらに来る前の晩ですから、実に神様のやられることは、一分の隙もないというわけです。始終奇蹟には慣れっこになってますが、それでも今度のには、かなり驚かされました。昨日見ますと、庭なんかもいまは藪のように生い茂ってますが、すっかり手を入れるとなかなか良い庭です。家の普請も私は、いい加減値段も安いからバラックくらいのものと思ったところがなかなかそうではないのです。そうとう見られる建築です。ですから、そこに畳を敷いてちょっとした所を直すくらいで立派に役に立つのです。庭なんかも奉仕隊の人たちが生い茂った草を刈るとか広い庭にすれば、実に良い庭になると思います。それで来年の4月に来るつもりですが、それまでに草刈りをやってもらえばすっかり見通しがつきます。これは京都の教会の方なんかがやってくれると思いますが、まあ、そんなつもりです。それで来年の春に来て、5、6日こちらにいて、いろいろ計画を立てようと思っております。

  だいたい京都の文化は、良く見ると三段になっています。最初は平安朝の平安文化と、それから東山文化すなわち足利時代のものと、桃山文化です。ちょうど藤原、足利、豊臣と三段になっています。この京都の文化というものはそれであり、それから江戸に移って元禄を中心とした華やかな文化時代が生まれましたが、とにかくそれまではちょうど三段階になっています。仏教のほうは奈良のほうに早くできた文化ですが、そうかといって、いまさら新しく仏教文化を採り入れるという必要はありませんが、いまの三段階の文化の良い所、特異な所、そういうものを採り入れて、その模倣といってはしようがないですが、やはり現代の20世紀としての感覚によって、その三段階の文化をよく調和させて、現代の人にもすぐに受け入れられるような、古い懐古主義的なものではなくて、そういった懐古的なものを採り入れるとともに、時代感覚にピッタリ合ったようなものを造ろうと思っております。理屈だけ言うと結構ですが、ちょっとこれで人間的には難しいわけなのです。古いものと新しいものとの調和ずれのないようにピッタリするようなものを造るというのは難しいものです。牛車(ぎっしゃ)に自動車のエンジンをつけるように難しいものです。それを無理なく、かえって良いというようにするのですが、神様がやるのですから卒(そつ)はないと思います。つまりいままでの宗教などはそうですが、神様というのは芸術的には縁遠いもののように思われていたのです。ところが大違いで、とにかく神様は芸術にはもっとも重きを置いているのです。ただいままでは世の中で芸術的なものを造りたいと思っても、夜の世界で地獄の世界だから、そういうのをこしらえてもしようがないし、条件が揃わないからこしらえないのです。それで最高の神様は時を待たれたのです。いよいよ時が来たので神様は本当の御心を発揮されるわけです。これからは人間の理想としていたようなものがドンドンできるわけです。そんなような意味で、大いに楽しい世の中ができるわけです。

 ところでそういった芸術や美術というものも結構ですが、なによりもかによりも、分かりきったことですが、まず人間の健康が第一です。そこで人類から病気を除き、健康人間ばかりの世界にするというのが根本ですから、それを根本にしながら芸術の世界を作っていくわけです。

 昭和28年4月10日 京都劇場での御講話より
 『御教え集』21号(1953年5月15日発行)に収録


 そのやり方はいろいろありますが、仏教美術というものは、ただ美術的にばかりで見るということは、唯物的で本当ではありません。各お寺に、いろいろな仏様の像がありますが、その像にそれぞれの霊が入っているのです。だからただの彫刻ではなくて、やはり生きているのです。そうして大勢で拝むという今までのやり方は、それで良かったのです。その仏様達が入る肉体のような物で、これは京都、奈良に沢山あります。ですから、その魂を浄めてやると、その仏像から抜け出て、神様として働けるようになるのです。ですから、そういう仕事をしてやらなければならないのです。


( 中 略 )

 今度私は四月八日つまり、お釈迦さんの誕生日に来たわけですが、これは特に選んだ日ではなく、神様の方ではそういうように順序をつけてあるのです。



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 昭和28年11月15日の御講話より

『御教え集』28号(1953年12月15日発行)に収録


 京都の……たいていお寺ですが……庭というのは他の美術と比べて、あまりにかけ離れているのです。

( 中 略 )

 実に構想が小さ過ぎるのです。それでお寺に行くといろんな説明をしてます。これはいつのころ、何年にだれがどうしたとか言ってます。これはお茶の影響もあります。遠州も大茶人ですから。これは狭い庭ならよいのです。ところが大きな庭に茶人の庭を造ったからして、しっくりとゆかないのです。

( 中 略 )

 そういうわけで、私は今度の嵯峨の平安郷にはまるっきり違った、もっと大胆なアッとするような物を造ろうと思って、この間ちょっと設計しました。それで京都の庭として、日本のいろんな草木、石、そういう物をあしらって造れば、こういう良い物ができるという見本のような物をこしらえようと思ってます。それとともに各寺にある本尊様を除いた良い物を一ヵ所に集めて見せるという仏教美術館は、ぜひ造ろうと思って考えてます。ですから京都には良い物がありながら生かすことができなかったのです。