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平安郷だより 4月号 (2026)

明主様ご西下の思い出 

最後の関西御巡教の折に・・・


 今月は、明主様の最後のご西下(昭和29年4月10日~13日)から72年目になります。この年の御巡教において多くの奇蹟や証があり、語り継がれています。 
 4月11日の午後6時、春秋庵にご到着された明主様は、奥座敷(大弥勒御尊像)の床の間に『みろく出世せんとす』の一行書(東方之光誌下巻口絵参照)をお掛けになり記念写真をお撮りになりますが、当時この御巡教に同行された教会長の手記には、「(昭和28年に宿舎が)春秋庵になってからは、奥座敷と次の間、それと別棟の座敷、その両棟をつなぐ幅広い廊下にもほどよい床があり、四幅の掛軸が要りました。前もって四幅をお預かりしてきたのですが、どれも貴重なお軸ばかりでしたし、なかでも奥座敷は明主様がお描きになられた観音様のお姿でございました。ところが、29年の春は注意するよう仰せで、お掛け下ろしさせていただいてびっくりしたのは『みろく出世せんとす』の一行で、どなたの書か分かりませんが、何か異様に迫る気を感じました。明主様はお着きになるや否や、その前にお座りになってしばしご覧遊ばし、いかにもご満足気(まんぞくげ)な御面持(おもも)ちに見上げになられました。その頃写真に熱中していた甥が、カラーフィルムが手に入ったので、明主様のお写真を撮ってよいかと聞きしました。明主様は『それならこの掛軸の前で写しなさい』と仰せ、お座敷で、床を背になさってキチンとお座りになられたのです。明主様は、『これは聖師様(出口王仁三郎氏)が書かれたのを貰ったのだ。神様がお出ましになるのだ』と嬉しげに仰せられ、そのお言葉が瞬間ドキッとお腹に応え、全身に電気が走ったような気がしました。」と記しておられます。 
 12日は雨の中を午前8時に春秋庵を出発し、奈良へ向かわれます。途中で雨も上がり、午前中奈良公会堂で信徒二千数百人を前にご講話、午後2時頃には奈良県宇陀(うだ)の室生寺を拝観されますが、ここでも不思議なことがありました。東方之光誌の記述によると、「明主様一行が室生寺に到着すると、礼装の衣に着替えた役僧が出てきて、掃き清めた奥座敷に案内するとともに、このうえないもてなしをしてくれたのである。不思議に思って寺側に事情を尋ねると、この寺には昔から龍神の守護があり、貴人がたずねる時には、その数時間前に雨が降り、その直前になると雨があがって、境内がすっかり清められるという言い伝えがある。その日の昼ごろには、まだ雨が激しく降っていたが、明主様が室生寺に着いた午後2時過ぎには、燦々と陽光が降り注ぎ、しかも寺の前を流れる室生川の水が、雨にも濁らず美しく澄んでいるので、今日の来客は貴人に違いないと、急遽もてなしの用意を整えたというわけであった。」とのことです。明主様は、この日は奈良ホテルにご宿泊されます。  
 13日は、前記の教会長の手記には、「天候も回復し、晴。お車は午前九時、奈良ホテルを出発。吉野山へと向かわれました。午前10時半、吉野山へさしかかってまもなく、明主様のお車が、少しの故障の気配もないのにある場所で動かなくなりました。ところが、すぐ近くに後醍醐天皇(ごだいごてんのう)を祀る吉野神宮があることが分かり、『ここに参拝しないということはない』と、お車から降りられて参詣されました。次いで、蔵王権現ざおうごんげん(釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三尊が一体となった姿とされている。)を参詣後、旅館「桜花壇(さくらかだん)」で昼食、午後1時同地をご出発。午後3時半京都にお戻りになり、京都博物館をご観覧ののち、春秋庵にお帰りになりました。そして、春秋庵でお夕食後、午後10時34分京都駅をご出発されました。」と記されています。 
 明主様は、この直後の4月19日には神秘のご浄化にお入りになり、6月5日に熱海碧雲荘でメシヤ降誕について言及なさり、6月15日には、瑞雲郷・メシヤ会館(現.救世会館)にて、『メシヤ降誕仮祝典』を斎行されます。 

明主様へご報告されたみなさまの声

【宿泊奉仕】 

  • 岡田茂吉記念館では、躍動感あふれる御書に感動しました。朝の平安郷は柔かな春光の中、凛として高雅でなごやかな気分にならせていただきました。S.N(山口)
  •  記念館での先生の説明をお聞きして気がつかされました。明主様の書や観音画は一般人から見れば芸術作品ではないかと思わされました。故に岡田記念館と教団は名乗っていますが、一般社会から見れば将に芸術作品の館ではないかと気づかされました。

T.N(静岡) 

  • これから平安郷建設、美術館建設に向け真の御奉仕をさせていただきたいと思います。一日も早く平和な世界、地上天国が実現するよう、お役に立たせていただきたいです。他のセンターの人と知り合えたことがとても嬉しいです。また来ます!M.Y(広島)

【春の特別公開奉仕】 

  • 3日間一般公開の御奉仕させて頂きまして多くの方々と接して楽しい日々を過ごさせて頂きました。土の聖地とはこの地を踏んで訪れた方々も幸せな気分にさせて頂く場であり、皆さん笑顔でこの桜の美しさに魅了され、また来たいと言ってくださった方々も数々、お茶の接待をする中で飲む方の幸せを祈り入れさせて戴きました。M.H(愛知)

平安郷建設奉仕隊の募集

二泊三日の奉仕隊を募集いたします。庭木の手入れや木竹工芸、苔庭手入れなどです。一泊二日や日帰り奉仕をご希望の方もご相談ください。

    • 第  9期   5月15日~5月17日
    • 第10期   6月19日~6月21日
    • 第11期   9月18日~9月20日
    • 第12期 10月16日~10月18日
    • 第13期 11月27日~11月29日
    • 第14期 12月18日~12月20日

平安郷修養会の募集

修養会は、平安郷庭苑や建造物のこと、また平安郷建設の意義や、美術館建設の願いを学びます。そして抹茶や自然食を楽しみ、また春秋庵での参拝、明主様とのご面会を通して、霊性の向上が許されることを願い開催しております。

    • 第  8期   5月12日~5月13日
    • 第  9期   6月20日~6月21日
    • 第10期   7月14日~7月15日
    • 第11期   9月12日~9月13日
    • 第12期 10月20日~10月21
    • 第13期 11月10日~11月11日

※募集事項のお申込みは、各拠点から事務センターを通してお願いします。

コバちゃんのひとりごと

洛中、洛外と・・・御土居(おどい

 洛中とは、現在の京都市中心部(上京区、中京区、下京区にあたる地域)を指す言葉ですが、元々は、平安京を中国の都「洛陽」に見立てて洛中と呼んだことが由来とされています。洛外は洛中の外側の地域を指し、洛北、洛東、洛西、洛南に分けられます。洛中洛外の概念は、豊臣秀吉が敵からの攻撃や鴨川の氾濫から京都を守るために築いた御土居によって明確になりました。その範囲は南北約八・五㎞、東西約3.5㎞、全長は約22.5㎞です。東端は鴨川、北端は光悦寺で有名な鷹ヶ峯、西端はJR嵯峨野線の円町駅付近,南端は東寺の南にそって築かれました。土塁(どるい)の要所に当初は七口(長坂口、鞍馬口、大原口、粟田口、伏見口、東寺口、丹波口)を設け、洛外との出入口としました。地下鉄南北線の鞍馬口駅やJR嵯峨野線の丹波口駅などの地名はその名残です。 
 御土居は現在では、北区の「鷹ヶ峯」の御土居公園、「北野天満宮」境内、上京区の紫式部邸宅跡の「蘆山寺」(ろざんじ)境内などの九箇所の「史跡」指定地を中心に僅かに残っているだけですが、洛中洛外という概念は、京都の文化や人々の暮らしに深く根付いてきたため、例えば、その境界に位置する桜の名所、平野神社周辺では、「おたくさんの家は、平野神社のあたりどすか・・・御土居の中どすなぁ」、「へぇ、カツカツ(ギリギリ)洛中どすわ」。今でも、ご年配の京都人同士は、時々こんなやりとりがなされるそうです。