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平安郷だより 2月号 (2026)

明主様ご西下の思い出 

初めての関西御巡教の折に・・・ 

広沢池(1940年代)

 本年、令和8年(2026年)は、明主様が初めて中部関西御巡教をなされた折に広沢池の畔にて平安郷の購入指示をされ、「弥勒三会」の型をなさった昭和26年(1951年)5月30日から75年を迎えますが、その時に随行された教会長の手記によると、「昭和26年5月29日、明主様はお車で、熱海のご自宅を一路京都へと出発されました。当時、占領下にあった日本では、主だったホテルなどは宿泊ができない状況でしたので、京都におけるお宿は、京都東山(南禅寺界隈)の木村邸でした。 
 当日、琵琶湖の瀬田では早朝より多くの信者が集い、明主様をお迎えしました。午後8時少し前、明主様は多くの信者のご挨拶にお応え下さり、木村別邸に入られました。 
翌日(5月30日)は、朝早くご出発、住友家の美術館、桂離宮、西芳寺(苔寺)、釈迦堂(清凉寺)、龍安寺と回られたあと、その日のご面会場と定められた法然院に着かれたのは、すでにお昼過ぎでした。明主様は花紺のタブルの背広に、山吹色のネクタイをされていました。法然院には、地元京都だけでなく各地から信者が集まり、明主様をお迎えして、熱心にご講話を拝聴しました。ご昼食のあと、修学院離宮、大徳寺を巡られて、午後3時半、法然院における午後のご面会に臨まれました。院の内外には、午前に負けない多くの信者があふれていました。明主様は約40分にわたるご講話をされた後、野村別邸を訪問されました。」ということです。この日は夕食を済まされて宿舎の木村別邸に戻られたのは夜の8時過ぎでしたが、その木村別邸で、お風呂の当番をしながら明主様のお帰りをひたすら待ち続けていた青年奉仕者の手記です。 
 「私が20歳の頃です。明主様が初めて京都にご西下くださった折、宿舎の木村別邸にご奉仕にあがるように教会長から言われました。私は、もう一人の青年と一緒に風呂炊きの御用を申し付けられ、午後3時頃から風呂を焚き始めました。最初に風呂釜に大鋸屑と藁をくべて火種をつくり、火種が安定をしたら、薪を徐々にくべて湯温を上げるように言われましたが、若気の至りで、薪を一気にくべ過ぎて煙がモウモウとしました。煙が目に染みる中、急いで薪を引き出し、藁を少し入れて竹筒で息を送り、火種が消えないように気を付けて薪を再度入れ、火力を安定させました。明主様のお好みの湯温は38度ですので、もう一人が湯船に浸けた温度計と睨めっこして、『藁の火だけでいい』とか『薪を入れろ』とか言いながら、明主様が宿舎にお戻りになり、お風呂に入られるまで38度の湯温を保つわけです。3~4時間位は経った頃かと思いますが、ようやく、明主様がお部屋から太鼓橋を渡り湯殿へお入りになりました。 
ところが、私がホッとした矢先、今、入られたと思いきや直ぐに、湯殿から明主様が出て来られたのです。明主様がお風呂をお使いになった時間は、私の予想以上に短かったのです。しかも、下着姿で太鼓橋を渡って来られたのです。私は『神様の裸を見てはいけない』と思い、慌てて太鼓橋の下に隠れました。」
 ということですが、この青年は、今のように携帯電話や自動給湯設備が無い時代に、15時頃~20時頃までの間、湯温を38度に保つためにひたすら炎の調整をしていたのです。青年は後に専従となり奈良の布教発展の礎を築く方となられるわけですが、私たちは立教百年を目指して、この大先輩方の「明主様に仕える姿勢」を継承していきたいと思います。 

明主様へご報告されたみなさまの声

【建設奉仕隊】 

  •  初めて大弥勒御尊像昇殿参拝が許され感謝致します。明主様のご神業の場に入れたことはこのご奉仕での最高のご褒美でした。M.O(神奈川)

 

  • 京都といえば平安京と枯山水の庭苑というイメージですが、当平安郷は花笑い百鳥歌う「花園」のイメージと想わせて頂いた。今後より花園として「百花繚乱」を期待します。T.N(静岡)

 

  • 今年6回参加することが出来ました。無事に目標を達成することが出来、感謝致します。S.A(兵庫)

平安郷建設奉仕隊の募集

二泊三日の奉仕隊を募集いたします。庭木の手入れや木竹工芸、苔庭手入れなどです。一泊二日や日帰り奉仕をご希望の方もご相談ください。

    • 第  9期   5月15日~5月17日
    • 第10期   6月19日~6月21日
    • 第11期   9月18日~9月20日
    • 第12期 10月16日~10月18日
    • 第13期 11月27日~11月29日
    • 第14期 12月18日~12月20日

平安郷修養会の募集

修養会は、平安郷庭苑や建造物のこと、また平安郷建設の意義や、美術館建設の願いを学びます。そして抹茶や自然食を楽しみ、また春秋庵での参拝、明主様とのご面会を通して、霊性の向上が許されることを願い開催しております。

    • 第  8期   5月12日~5月13日
    • 第  9期   6月20日~6月21日
    • 第10期   7月14日~7月15日
    • 第11期   9月12日~9月13日
    • 第12期 10月20日~10月21
    • 第13期 11月10日~11月11日

※募集事項のお申込みは、各拠点から事務センターを通してお願いします。

お知らせ

岡田茂吉記念館 「春の展示」開催のお知せ 
日時 令和8年3月27日(金)から4月7日(火)まで。※会期中は休館しません 
開館時間 10時から16時まで(入館15時30分まで) 
〈主な展示内容〉  
展示室  御光筆「春光」「春山秋水」「光風明月」、遺品 花籠 
展望ロビー  明主様紹介パネル、嵯峨・廣澤にこがれて「平安京の礎を築いた秦氏」 
展望フロア  箱根・熱海・京都の聖地紹介パネル ギャラリー  

コバちゃんのひとりごと

雛祭る 都はづれや 桃の月  / 与謝蕪村 

 ひと月早いですが、雛人形の話題です。お雛様の由来は平安時代に貴族の子どもたちの間で、紙や藁を使った人形でおままごとをする「ひいな遊び」が盛んになりました。今で言うとリカちゃん人形ですね。「ひいな」とは「ひな」の古語で、「ちいさくてかわいらしい」という意味です。 
そもそも、雛飾りは「天皇の結婚式」を模したものです。つまり、主役として飾られる男雛と女雛は天皇陛下と皇后陛下を表して、天皇皇后のような幸せな結婚を願うという想いが込められています。また、雛人形は人間の厄を引き受ける役割を持っています。 
 ひな人形を飾る場合、男雛(お殿様)と女雛(お姫様)の左右の位置が、関東と関西では違っています。現在一般に広く売られている雛人形は関東雛と言い、向かって左に男雛が座っているものになります。逆に、向かって右側に男雛が座っているものは京雛と言います。京雛の位置は、御所における玉座の位置に基づいています。古来より日本では「天子は南面する」という思想により、南に向かって座って、朝日が昇る「左(東)が上座」となっていました。 それが、大正天皇が公式の席で、西洋の「右上位」の風習にあわされ、洋服を身に着け、皇后陛下の右にお立ちになられました。これに倣い、昭和天皇もご即位の時に向かって左に、皇后様が向かって右にお立ちになり、以後、全国的に今の関東雛スタイルが主流となりました。平安郷では例年「上の茶屋」に京雛スタイル(向かって右側に男雛)で飾っています。