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平安郷だより 10月号 (2025)

平安郷建設・奇蹟の軌跡

昭和四十一年 京都市からダンプ二万台の土を入手


明主様が平安郷を入手された昭和二十七年当時は、春秋庵の建物周辺の土地を除いた敷地の大半は、田んぼと湿地で芦や雑草で荒れはてた状態でした。その湿地が埋め立てられたのは昭和四十年の二月でした。当時の担当者の手記には、「平安郷はあれだけ広い敷地でありながら、実際の管理人は二人で、他は奉仕者数名である。いよいよ庭が荒れ、人手に困ると、近県の教会長に奉仕を依頼するという状況であった。私は熱海に帰り、当時の平安郷の実態を報告し、管理の改善を進言した。その後、至急京都に来て欲しいと連絡があった。その話とは『京都の西(現京都先端科学大学)に浄水場を作ることになったが、浄水場の残土がダンプ二万台ぐらい出る。その残土の処理場所をここ一カ月くらい探し回っていて、偶然にこの前を通り、貴教団敷地の田んぼを見て、ここなら事によれば可能かと思い、是非残土を埋め立てさせて欲しい』との話の内容である。まさに“渡りに舟”の大変好都合の話であった。ダンプ二万台近い土は簡単に入手出来ないし、(中略)将来のことも考え、是非ともこの機会にとお願いしたのである。」と記されています。
 
更に、「さて、埋め立て工事は始まったが、当初の計画通りとはゆかず、近隣との問題等々と苦労の多い工事であったが、それと同時にこの埋め立てて出来た原っぱをどうするかで頭を痛めていた。庭をつくるにも植木を植える予算がないのである。当時瑞雲郷の造営担当をしていた森本勲氏と話合った結果、『土が十分にあれば築山をつくり、敷地の中の小川を利用して日本式の庭を考えたい』と言われたが、土が予定より少なかったので、築山の計画は流れ、広場が出来ただけであった。平安郷の購入は明主様の晩年であり、熱海のお住まいからも遠く、ご昇天までの間、平安郷には数回しかお出ましになられていない。明主様の詳しい平安郷のご計画について、現在は判っていない。御教えに仏教美術館を建てられる構想がのべられ、御面会の折には、多少のお話しがあった程度で、庭の手入れなどのご指示もあったと思うが、残念ながら造園に関しての資料はない。昭和二十八年十一月十一日には、光悦寺のお茶会から春秋庵にお戻りになられた明主様が、当時の瑞雲郷兼平安郷造営部長だった中村恵比二先生に造営の指示をされたという記事が栄光新聞に写真付きで掲載されているが、その指示内容の詳細に対しては明確な記録が残っていない。(後略)。」
今から約六十年前のこと、大量の土の提供が京都市側から申し出があったという奇蹟、土はは広庭が出来る丁度よい量であったこと、そして、当時は平安郷造園の具体的な構想は見いだせなかったことがわかります。
平安郷建設が本格的に始まったのは平成六年の大弥勒御尊像奉斎からです。そして三代教主様が庭園苑のご構想を具体的に指示され、現在の平安郷庭苑が造園されました。全て神様の御計画であり寸分の無駄もない、年月を隔てた大きな御神意を感じます
 平成十一年十月二十日発行 「全集協賛会だより」参照

明主様へご報告されたみなさまの声

【修養会】

  • ムクゲ、ナツズイセン、ムラサキシキブ、花壇ではなく、自然の風景の中で見られたことに嬉しく思いました。春秋庵では、建物の説明をして頂きました。財閥の方が日本家屋の芸術の高さを感じておられ、訪れる人を楽しませたい、それは遊園地やカジノのようなスリルではなく、静けさ、心の安らぎ、日本人としての誇りを感じられる建築です。本当に神様が準備されていたのでしょうね。地元に戻ってから、みなさんに参加を呼びかけたいと思います。 K.H(福井)
  • 今回修養会に参加させていただき、一つ一つの建物・庭苑の細かいところ、何で建てられているか詳しく教えていただきなるほどと思わされました。特に椿茶屋では平安郷が違う方向から一望できて感動しました。 S.M(福井)

 
【平安郷ユースリトリート】(子供たちのお泊り会)

  • まっちゃをつくるのがたのしかった。いろいろ虫をつかまえられた。しょくどうのごはんがおいしかった。 (小3男子)
  • 他の県から来た人たちとも仲良くなれたし、みんなで楽しめて良かった。来年もやりたいと思った。 (中1女子)  M.H(京都)
  • 普段、浄霊するママ友さんもなかなかいないので、お話や浄霊交換も貴重な機会でした。子ども達も、いつもどうしても室内でゲーム遊びが多くなりがちなので、野原で皆でバッタを追いかける姿が微笑ましく思いました。(小4男子の保護者) Y.K(福井)
  • 様々な地方からの参加者の方々と共に、出会えたご縁と平安郷の光をいただけたこと、子供たちが楽しく仲間を育み、お抹茶等の日本文化にも触れ素晴らしい経験が出来ました。感謝です。(中1女子の保護者) Y.H(京都)

 
【宿泊奉仕】

  • 一泊奉仕させてもらったことがありがたいです。感謝でいっぱいです。朝の朝拝の時、春秋庵で涙が止まりませんでした。また機会がありましたら参加させていただきます。T.S(滋賀)
  • 二日間充実した時間を過ごすことが出来ました。研修の後に月夜が素敵で感動しました。また、ご飯も美味しくたくさんいただきました。多くのものを頂きました。今度は周りの人を笑顔にしていきたいと思います。 T.H(愛知)

平安郷建設奉仕隊の募集

二泊三日の奉仕隊を募集いたします。庭木の手入れや木竹工芸、苔庭手入れなどです。一泊二日や日帰り奉仕をご希望の方もご相談ください。

    • 11月  14日  ~  16日
    • 12月  19日  ~  21日

平安郷修養会の募集

一泊二日の平安郷修養会を行います。平安郷庭苑や建造物の学び、お茶を楽しみ、そして明主様とのご面会を通して神様中心の信仰をご一緒に学びましょう。

    • 12月12日~13日

※募集事項のお申込みは、各拠点から事務センターを通してお願いします。

コバちゃんのひとりごと

秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花(後編)
この歌は、万葉歌人の山上憶良が詠んだ歌です。先月に引き続き。秋の七草を紹介いたします。覚え方はオスキナフクハ(お好きな服は)」。後編はフ」からです。

ジバカマ(藤袴)
藤袴千草の中にみいでけりうら紫の小花めぐし / 明主様詠
キク科の多年草です。花の色が藤色を帯び、花弁の形が袴のようであることから、この名がつきました。匂い袋、浴湯料などに使用されていました。鏡池周辺に咲きます。
 
ズ(葛)
風ふけば葛の広葉の飜えりをりをりみゆる紫の花 / 明主様詠
マメ科のつる性の多年草です。葉の裏の色は白っぽく、風に吹かれて葉裏が見えることから「裏見草」とも呼ばれています。名前の由来は、その昔、奈良県の国栖が産地であったことから名付けられたそうです。上の茶屋の裏山に自生しています。
 
ギ(萩)
こぼれ咲く萩の小花の愛ぐしさよ心して吹け庭の朝風 / 明主様詠
マメ科の落葉低木で草ではありません。名前の由来は、萩は古い株から新芽を出す性質があり、昔は「生芽(ハエキ)」と呼んでいましたが、これがなまって「ハギ」となりました。種類も多くヤマハギ、ニシキハギ、マルバギ等があり、万葉集には萩の歌が一四一 首も載っています。中の茶屋周辺に咲いています。
 
秋の七草の花の盛りは、八月末~十月までの間、種類によってまちまちですが、平安郷の庭苑に揃っています。明主様に倣って、一首詠みながら散策をしてみてはいかがでしょうか。