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平安郷だより 6月号 (2025)

A3判→

平安郷は土の神業

異質なものが結び合い 新たな命が生まれる

 明主様は昭和二八年、中部関西御巡教の際に「それで嵯峨という土地は大体仏教の本拠地として非常に意味があるのです。それで仏教は五、六、七の七になるのです。火水土の土になるのです。だから何時かも言ったとおり京都の経綸は土の経綸ですから、あそこは平らで広い所なのです。それで土地の面積が一万八千坪というのは五六七で、あそこでミロクが完成するのです。箱根、熱海、京都で五、六、七が完成するのです。」と御講話されました。
 そして平成十年、三代教主様は平安郷建設「土のご神業」の意義として、明主様の御教えをより具体的にお説きになられ、「明主様は、火は経、水は緯とお教えくださいました。土という字は横を書いて、縦を書いて一から始まると書きます。土の文字には、明主様は深い意味が含まれていると仰っています。この経と緯、陰と陽、霊と体、そういうように相反するもの、異質なものが結び合うところに新たな命が生まれるということが大事ですね。」と、そして「新しい結びの文化形態を目指す方向に行かなければなりません。」とお示しになられました。異質なものと結び合う努力をすること、異質なものを認める努力をすることが伊都能売いづのめの働きであり、「この土の持つ特性が発揮されるのが、土の時代という意味なのです。明主様の神かむ惟ながらに巡ってきた神業時代なのです。」と、ご教導くださいました。そして「明主様の火の経綸、二代様の水の経綸、そしてそれが回転してゆく三代の結びの経綸、土の神業がいよいよ始まります」と、自らの使命を表されました。
 そして三代教主様は私たちに、「平安郷を『和の聖地』として、本教から独立された団体も明主様信仰をされているのですから、平安郷にお参りできるそのような聖地にしてください。」と、和の教団づくりを具体的に託されました。現在平安郷では、独立された教団の皆さま方と「大和心の会」を設立し、十数の団体と交流を持ち、明主様の証を共有しお互い学び合い、各団体の参拝や奉仕、宿泊奉仕を積極的に受け入れています。明主様から見れば、みな明主様の信徒です。相手を認め、尊重し合い、助け合うこと。これが真の「和の実践」だと思います。
 
土は万物を育み、根付かせ、花を咲かせ実を結び、その実をあちこちに散らします。土の聖地として、「和」を通して、今一度、新しい発想にたって、教団全体に和の想いが体現できるように、その取り組みを育み、根付かせ、花を咲かせ、実を結び、種として広めるという役割を、平安郷から実践し、土の聖地の役割を果たせるよう邁進してまいりたいと思います。

※募集事項のお申込みは、各拠点から事務センターを通してお願いします。

平安郷建設奉仕隊の募集

二泊三日の奉仕隊を募集いたします。庭木の手入れや木竹工芸、苔庭手入れなどです。一泊二日や日帰り奉仕をご希望の方もご相談ください。

    •   6月 20日 ~ 22日
    •   7月 11日 ~ 13日
    •   9月 26日 ~ 28日
    • 10月    3日  ~   5日
    • 11月  21日  ~  23日
    • 12月  19日  ~  21日

平安郷修養会の募集

一泊二日の平安郷修養会を行います。平安郷庭苑や建造物の学び、お茶を楽しみ、そして明主様とのご面会を通して神様中心の信仰をご一緒に学びましょう。

    • 第二回    6月28日 29日
    • 第三回    7月   8日   9日
    • 第四回    9月16日 17日
    • 第五回  10月18日 19日
    • 第六回  11月 11日 12日

明主様へご報告されたみなさまの声

  • 月次祭の祭員としての御用を頂きました。座拝でしかも上衣をまとっての祭事は初めてでしたので、不安でいっぱいでしたが、多くの方々のお力添えでなんとかお役を果たさせて頂きました。春秋庵での夕拝の先達もさせて頂きました。本当にありがとうございました。H・S(愛知)
  • 上茶屋でご奉仕させて頂きました。始めてでわからないところもいろいろあったけど、皆さんがおしえてくださってよかったです。ご飯もいろいろな種類もあり美味しくてとても感動しました。またご奉仕させて頂きたいです。H・M(兵庫)
  • 春秋庵での御奉仕は最高の場所。最高の霊域で身も魂もお光を頂きました。心して明主様を現す、明主様の御心に叶います御神業に実践努力させて頂きます。ありがとうございます。感謝感謝です。Y・N(三重)
  • 修養会に初めて参加させて頂き、丁寧な施設のご案内を通して、岡田茂吉さまの世界を、より身近に感じることができました。また、改めて、その業績の偉大さと共に、お人柄のすばらしさを知ることができ、大変意義ある修養をさせて頂きました。また機会がありましたら、参加させて頂きたく思います。I・S(未信徒)
  • 修養会に参加させて頂き、平安郷の自然さに圧倒されました。春秋庵で明主様とのご面会でのお話しを伺い、体にしみるような感動を頂きました。朝拝、夕拝に参加させて頂き、最初はまごつきましたが、静の時間を経験し、心の掃除、浄化を経験できたことは大変うれしいことでした。特に浄霊して頂き、心の浄霊、体の浄霊で、痛みが取れ、体も心もスッキリすることを経験させて頂き、体の変化に驚いています。経験してみて、教わりたいと思うようになりました。今回、新しい経験をさせて頂くと同時に、スタッフの皆さまに感謝しております。ありがとうございました。S・K(未信徒)

コバちゃんのひとりごと

宵闇よいやみは 黒くもなりぬ蛍ほたる火びの 光りては消え 消えては光るも
 
 このお歌は、明主様が昭和六年八月に発表された歌で、歌集「山と水」に「蛍」という題で掲載されています。五月は、アヤメ科の花が次々と咲き私たちを楽しませてくれました。そして下旬になると梅雨の走りの雨が降り始めます。平安郷の神苑では、この頃から六月上旬にかけて一週間程の僅かな期間、楠風荘や上の茶屋の前の川では蛍が飛び交い、まさにこの歌の通りの光景が味わえます。
 
 ここで『源氏物語』にある第二十五帖の「蛍の巻」を紹介します。五月雨の頃、皇子である兵部ひょうぶ卿宮きょうのみやから光源氏の義兄の姫君である玉たま鬘かずらに文が届きました。光源氏は姫君に返事を書かせました。それを受けとり、喜び勇んで光源氏の屋敷にやってきた兵部卿宮に対し、部屋に蛍を放ち、その光で姫君を浮かびあがらせ対面させました。予想以上の美しさに心を奪われた兵部卿宮は、その想いを和歌で「鳴く声も聞こえぬ虫の想ひだに人の消つには消ゆるものかは(鳴く声も聞こえない蛍の光でさえ、人が消そうとしても消えるものでしょうか)」と訴えるのですが、玉鬘は、「声はせで身をのみ焦がす蛍こそ言ふよりまさる想ひなるらめ(声には出さず、身を焦がす蛍の方が言葉にするより勝る想いでいるのでしょう)」と、つれなくあしらいました。その後、兵部卿宮は「蛍宮」と呼ばれるようになったそうです。
 
 玉鬘は光源氏の義兄である頭とうの中将ちゅうじょうと夕顔ゆうがおの間に生まれた姫です。夕顔は、頭中将の正妻にいじめられ、姿を隠していた時に光源氏と出逢いました。そして名月の夜、密会中に不慮の死を遂げました。この物語りが第四帖「夕顔」の巻です。このエピソードのモデルは具とも平ひら親王しんのうと大顔おおがおとの実話で、その舞台となった場所は、広沢池の西岸にある遍照寺へんじょうじの釣殿だと言われ、現在は教団が管理する「椿つばき茶屋ちゃや」となっています。